渋沢紙幣が大韓帝国下で発行されていたと
韓国メディアが日本の紙幣刷新を批判。
韓国メディアの反発を受けました。
では同じ時代を生きた
伊藤博文や福沢諭吉紙幣の際は
どうだったのでしょうか?
分かりやすくお話していきましょう。
大韓帝国下の渋沢紙幣
1902年に発行されていた韓国初の紙幣。
「無記名一覧払い約束手形」として
第一銀行が大韓民国の許可なしに発行。
この手形は実質的な紙幣として
朝鮮半島で流通し大韓帝国は1905年に
正式な紙幣として承認せざるを得なかった
という歴史があります。
堂々と渋沢栄一の肖像画が描かれています。
韓国から見れば
「初めての紙幣の肖像画が日本人」
という屈辱的な歴史と言えるわけです。
これについては、2019年日本紙幣が刷新される
以前の2017年。
韓国経済紙・ソウル経済が
「不法と強権と武力により、民間銀行が国の通貨を発行した」
とコラムで触れています。
このような背景があるので
韓国メディアは2024年からの日本紙幣に
採用される渋沢栄一を批判しました。
「朝鮮半島侵略の歴史を代弁する人物の肖像を新しい1万円札に入れるのは、過去の歴史を否定する安倍晋三政権の歴史修正主義が反映されたためだ」
伊藤博文の紙幣も韓国批判を受けた
では1963年に刷新され1000円札に使われていた
伊藤博文の紙幣はどうだったのでしょうか?
伊藤博文は大日本帝国憲法制定の起草
日清戦争後下関条約に調印
初代枢密院議長・韓国統監府統監・貴族院議長などを
歴任しました。
近代日本の創設、文明開花の伝道師として
走り続けた伊藤博文は
旧満州のハルビン駅で暗殺されます。
挑戦活動家・安重根によって。
そんな韓国とのつながりがある
伊藤博文もまた紙幣に採用されることで
韓国批判を浴びています。
「1000円札が伊藤博文の頃に、日本を訪れた韓国人が1000円札の釣り銭を財布に入れたくなくて、すぐに使ったというエピソードもある」(2004年・国民日報)
「日本は安重根の審判を受けて倒れた伊藤博文を紙幣にした。侵略的過去の歴史を認めない国家情緒を見ることができる」(2017年・釜山日報)などと報じている。
実はこういった批判があったこともあり、
伊藤が「降板」した84年からは、
「お札の顔」は文化人や教育者になっているのです。
福沢諭吉の紙幣も韓国批判を受けた
「脱亜論」で朝鮮を見限った表現をしている福沢諭吉。
そんな福沢諭吉の一万円札についても韓国メディアは
批判しています。
「脱亜論で有名な福沢諭吉は日帝が侵略至上主義に駆け上がるのに思想的根拠を提供した人物で、朝鮮を「野蛮以下の国」と酷評して侵攻するよう扇動した。
日本はこのように偏向した思考を持ち、戦争と虐殺を促した福沢を啓蒙思想家と称賛して最も多く流通する1万円紙幣にまで登場させた」(2015年・メディアオヌル)
渋沢栄一はが私利私欲に走る事なく慈善事業にも尽くした人物
渋沢栄一が日本の統治時代に朝鮮半島で
ビジネスを行った事実はあるものの
政治家ではありません。
慈善事業に尽力した渋沢栄一を
真っ向から批判されるのは
非常に残念なことではないでしょうか。
最後までご覧いただきありがとございます。
尚、
「20年ぶりに新紙幣が刷新される理由と時期と人物そして懐かしの旧札」
「静岡側の富士山が描かれ、フォントがダサいと言われる新紙幣やのイメージ画像
について知りたい方はこちらを御覧下さい。
[blogcard url=”https://perlman2020.jp/news-paper-money/”]
[blogcard url=”https://perlman2020.jp/news-paper-money-image/”]
コメント