スポーツクライミングの女子代表として東京2020オリンピック出場確定した野口啓代さん。
スポーツクライミングは東京2020オリンピックで初めての採用となった種目です。
30代になった野口啓代さんは、「東京2020オリンピックまで頑張ってからやめようと決めた」と語っています。
野口啓代さんは、小学生でクライミングをはじめて、わずか1年という短い期間で2002年の全日本ユース選手権で優勝を果たし話題の少女となりました。
この優勝をきっかけに、その後もユースの大会でよい成績を残しています。
野口啓代さんは、2008~2012年にも、各地で開催されたボルダリング・ワールドカップで優勝。
2014年、2018年にはボルダリングの大会10件以上に参加し、優勝や2位3位と好成績を残しました。
ボルダリング・ジャパンカップでは、11回の優勝。
数々のボルダリングの大会で大活躍している野口啓代さんは、どんな練習をしてきたのでしょうか?
野口啓代さんの父親や母親は、どのように支えてくれたのでしょうか?
気になりますよね!?
スポーツクライミング代表の野口啓代の優勝の鍵は父親か!?
野口啓代さんは、小学5年生の頃にクライミングと出会い、どんどんとクライミングの魅力にはまっていきました。
実は、一家でクライミングの魅力に取りつかれています。
今の野口啓代さんがあるのは、父親の支えが大きかったのでしょう。
野口啓代さんの父親は、牧場を営んでいました。
父親は娘の野口啓代さんが十分に練習できるようにと、野口啓代さんが中学生の時に、実家の牛舎の片隅にクライミングのプライベートジムを作ったのです!!
娘のためにクライミングの壁を手作りしてしまう父親ってすごくないですか?
それだけ、野口啓代さんのクライミングにかける思いが感じられたのでしょう。
「父は心配性なのと、思い立ったら聞かない性格なので、強くなりたいなら家に建てちゃえ!ということでボルダリング練習用の壁を建ててくれたんです」
テレビドガッチ
野口啓代さんの父親は行動力もすごい。
野口啓代さんの成長とともに、クライミングの壁も進化していきました。
父親の情熱が伝わってきます。
そんな父親の思いにこたえるように、野口啓代さんは練習に励み、その結果として数々の優勝を勝ち取ってきたのですね。
野口啓代さんのプライベートジムとして作ったのに、「ほんとは自分のためだった」と語る父親の言葉は、娘に気負わせない配慮だったのではないでしょうか。
素敵な父親ですね!!
父親は、野口啓代さんを精神的にも支えています。
野口啓代さんはいつも父親に「気楽にな」という言葉で励まされています。
2014年大会で思うように実力が出せず悩んでいるところにこんな言葉が。
「Take it easy」って、英語で。「気楽に頑張っておいで」。そういう言葉が欲しいなって時に、そういう言葉をかけてくれる。
スポーツ報知
いつも頑張っている野口啓代さんの姿をそばで見ている父親は、肩の力を抜いてくれていたのです。
「気楽に」という言葉で、2014年はワールドカップ年間総合優勝へ導いてくれました。
ほんとにちょっとした一言かもしれませんが、勝負を目の前に緊張する野口啓代さんにとっては、魔法の言葉だったはずです。
やはり、優勝の鍵となっているのは父親でしょう!!
「クライミングを始めてワールドカップに出始めた10代の頃から、大会で勝つことが私の夢でもあり、父の夢でもあったと思います。オリンピックにも親を連れていってあげたいなという気持ちもすごく強かったし、親もすごく不安だったと思いますが、五輪出場が内定して自分のことのように喜んでくれました」
テレビドガッチ
また、今回のオリンピック出場は、野口啓代さんの父親にとって、嬉しさもひとしおでしょう。
野口啓代さんは、オリンピックが1年延期となりましたが、前向きでした。
初めてのオリンピックでの金メダルが期待されますね!!
スポーツクライミング代表の野口啓代の母親のひかえめな支え
野口啓代さんは、父親の支えはもちろんのこと、母親からもそっと力をもらっています。
実家のプライベートウォールで練習すると原点に戻れるというか、気持ちが落ち着きます。父の作ってくれた壁を登って、母の手料理(コロッケ)を食べてから(大会に)出発するのが私の最強のルーティンです。
au×CLIMBING
母親の愛情のこもったコロッケは、いつも通りやれるという力を秘めているのでしょう。
野口啓代さんは、両親からともに心のこもった手作りのもので支えてもらっています。
東京2020オリンピックの出場権のかかった大事な大会では、母親がリボンを巻いてくれたとのエピソードが。
母親も一緒に勝負に挑むような気持で巻いてくれたのでしょう。
両親の思いは、いろいろな形で野口啓代さんに届けられています。

スポーツクライミング代表の野口啓代の幼少期からのエピソード
野口啓代さんがクライミングに出会ったのは、小学5年生の家族旅行の時でした。
このときはまだ、オリンピックなど想像できていなかったでしょう。
ボルダリングにどんどんはまっていく野口啓代さんに、父親はプライベートジムを用意しました。
こんなあどけない少女が、クライミングにはまりたくましく成長しました。
野口啓代さんがクライミングで成長するスピードは、世間で注目されましたね。
小学6年生で初めて出場したフリークライミング全日本ユース選手権で優勝しました。
その後も、中学生では国内の大会で優勝し、高校生ではワールドカップで2位の成績を残しています。
大学生になった18歳のときワールドカップ初優勝し、クライミングの壁を駆け上る勢いと同じでみるみる実力をつけていきました。
野口啓代さんの子供時代は、実家の牛にまたがったり、木に登ったりとやんちゃな自然児だったとの情報がありました。
木登りするような自然児なところが、クライミングに向いていたのでしょう。
野口啓代さんが、小学生、中学生で活躍していた姿を覚えている方は、たくましく成長した姿に期待があつまります!!
スポーツクライミング代表の野口啓代の父親とのエピソード まとめ
- 野口啓代さんの父親は実家に練習用のクライミングの壁を手作りした
- 野口啓代さんの父親の「気軽にな」の言葉が優勝の鍵となっている
- 野口啓代さんの母親は手作りコロッケで支えている
- 野口啓代さんは子供時代やんちゃだった
- 野口啓代さんがクライミングを始めたのは小学5年生である
野口啓代さんの父親の強い愛情を感じました。
家族の支えに感謝している野口啓代さんの気持ちも感じます。
小学生からのめり込んだクライミングは、いまも野口啓代さんを魅了しています。
東京2020オリンピックのスポーツクライミングでの金メダルをぜひ獲得してほしいですね!!

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