いまやパ・リーグを代表する投手となった千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希選手。
高校時代からその頭角を現していた佐々木選手ですが、高校3年夏の甲子園は出場できませんでした。
当時、岩手県大船渡高校の監督だった國保陽平氏が佐々木朗希選手の将来を考え地区予選決勝で登板させなかったことが理由です。
この監督の判断は賛否両論を巻き起こし高校野球界でも大きな反響となりました。
しかし、この時の監督の英断が現在の佐々木朗希選手の大活躍に繋がっているのは間違いありません。
ここからは佐々木選手の年棒の推移や当時の契約金から彼の野球選手としての凄さに迫っていきます!
佐々木朗希の年俸はいくら?

佐々木朗希選手の2022年の年棒は推定3000万円。
佐々木朗希選手の2022年の年棒は前年の1600万円を大きく上回り推定で3000万円となりました。
2020年から2021年のシーズンではまだ育成期間という状況で目立った活躍もなく現状維持。
2022年への契約更改で出されたこの数字は、シーズン中に佐々木朗希選手の力をまざまざと見せつけられた結果といえるでしょう。
それにしても・・プロ野球の選手といえば「年棒ウン億円!」というような話が多く聞かれます。
それに比べると佐々木朗希選手の年棒は低すぎない?と感じますが佐々木選手はまだ高卒3年目。
ここからの活躍次第では自身の飛躍と比例して年棒もうなぎ上りとなることは間違いありません!
佐々木朗希の契約金はどれくらい?

さてここで佐々木朗希選手の契約金についてみていきましょう。
佐々木朗希選手の契約金は1億円+出来高5000万円/1600万円
高卒ルーキーの契約金としては佐々木朗希選手が特に破格ということもなく他球団のドラフト1位選手と大きく変わるところはありません。
確かにいくら高校野球界で活躍した選手とはいえプロはそんなに甘くはないでしょう。
なかには鳴り物入りでプロ野球界に入った高卒ルーキーがプロの洗礼を受け、鳴かず飛ばずで引退していく例も残念ながらあります。
それを考えると佐々木朗希選手の今後は誰にも分かりません。
チームとしても期待はあるものの初めからそんなに冒険は出来ません。
各チーム投手力には力を入れていますし、佐々木朗希選手の契約金については1軍に定着するまでの期間を考えればおそらくこの時点での妥当な評価額だったと思われます。
佐々木朗希の年俸や契約金は過去の名選手と比較してどう?
佐々木朗希選手の年棒や契約金は他の選手と比較してそう破格ではないことが分かりました。
ここからは過去の名選手の年棒や契約金と比べていきます。
まずは誰もがその名を知る田中将大選手(投手・楽天イーグルス2022年当時、以下同)からみていきましょう。

田中将大選手は駒大苫小牧高校時代に甲子園を沸かせその後プロ野球へと進んだ高卒プロです。
2006年夏の大会での「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹選手(現役引退)との決勝戦は手に汗握る素晴らしい試合でした。
田中選手はその年のドラフト会議ではプロ4球団から1位指名を受け、抽選を勝ち抜いた楽天イーグルスと契約を結ぶこととなりました。
その契約金ですが、高校時代の活躍からみても大きなお金が動くのかと思われがちですが、高卒選手として特に異例とはいえない契約金1億円、年棒は1500万円となっています。
しかしプロ1年目から二桁勝利をあげるなど大活躍だったためその後年棒はうなぎ上りとなり、あっという間に1億円プレーヤーとなったことはみなさんの知るところです。
続いて「平成の怪物」と言われた松坂大輔選手(現役引退)の例をみてみましょう。

所属する横浜高校が出場した甲子園では1998年に春夏連覇を成し遂げ、その年のドラフト会議では3球団競合の末西武ライオンズが交渉権を勝ち取りました。
甲子園決勝でのノーヒットノーランという59年ぶりの快挙を達成した選手に対する3球団指名というのは少し物足りないような気がします。
ただしこの年には、現在巨人のコーチをしている杉内俊哉選手も大会中にノーヒットノーランを達成しており才能ある選手が多かった年代だったせいと思われます。
その松坂選手の契約金は1億円、年棒は1300万円でした。
「平成の怪物」という呼び名を欲しいままにした高校時代でしたがこの金額は他と比べて突出したものではなく、やはりこの後の活躍次第ということなのでしょう。
次に昨年までソフトバンクホークスの監督を勤めていた工藤公康選手(現役引退)がプロ入りした時をみてみましょう。

卒業した高校は名古屋電気高等学校(現・愛工大名電)です。
もともと家が裕福ではなかった工藤家では「野球で特待生として声がかかれば高校に行ける」という現代では驚きの考えを持つ家庭だったようです。
それでも、中学時代から有名選手だった工藤選手は無事高校で野球を続けることとなり1981年のドラフト会議を経て西武(現・埼玉西武ライオンズ)と契約を結びました。
この年のドラフト会議は大荒れで、一旦プロ志望を撤回した工藤選手を西武が6位で強行指名し、粘り強い説得の末獲得しました。
その際の工藤選手の契約金は6000万円、年棒は480万円です。
実はこの工藤公康選手の契約金と年棒はその年の西武のドラフト1位である伊東勤選手(現役引退)よりも高く、期待されていた逸材だったことがうかがえます。
これが40年前のことなので佐々木朗希選手と比べればもしかすると工藤公康選手の方が契約金も年棒も高かったかもしれませんね。
工藤公康選手と同年代に活躍していた投手といえばやはり桑田真澄選手(現・巨人ピッチングコーチ)が思い出されます。

PL学園時代、清原和博選手(現役引退)とのKKコンビは有名で、甲子園通算20勝という戦後最多の記録を保持しています。
なおこの記録は2022年現在も破られていません。
そんな桑田選手ですが巨人入りを熱望していた清原選手と取って代わるように巨人に1位指名されプロの道に進みます。
1985年にプロ入りした桑田選手の契約金は6500万円、年棒は480万円でした。
同時期にプロとなった工藤公康選手とほぼ同額ですね。
ただこちらもやはり40年前ということを思うと佐々木朗希選手よりも実は高額なのではないかと感じますね。
こうしてみていくと佐々木朗希選手の契約金や年棒は決して破格に高いということでもなさそうです。
しかしここまでみてきた選手の誰もがその後爆発的に活躍し、入団当初の契約金の額は低めでも結果的にその後の年棒の高騰は目をみはるものとなっています。
佐々木朗希の契約金や年俸の使い道は?

さて高卒すぐの選手が突然多額のお金を手にし戸惑うことだと思いますが、佐々木朗希選手はこうした年棒や契約金をどのようにしているのでしょうか。
佐々木選手の契約金や年棒の使い道をみていきましょう。
ドラフト指名された2019年の仮契約交渉時「今まで見たことのないお金。球団からの期待を感じましたし、その分一生懸命頑張らないといけないと危機感、責任感を覚えました」と語っています。
その契約金の使い道を尋ねられた佐々木選手は
『しっかり貯金したい』
と即答し、会場内を沸かせていました。
普段から口数の少ない佐々木朗希選手ですのがもともとの堅実な性格がここでも見られたのではないでしょうか。
佐々木朗希の年俸と契約金まとめ

令和の怪物といっても過言ではない佐々木朗希選手。
その契約金と年棒について調べてきましたが、歴代の有名選手と比べても特に突出したものではなく、高校生としては当たり前ともいえる額となっていました。
2022年の年棒は初年度の約倍の3000万円でサインした佐々木選手。
デビューの翌年から大高騰した田中将大選手には及ばずとも2021年、2022年の活躍ぶりをみればここから一気に1億円へと上り詰めていくことも考えられます。
佐々木朗希選手の活躍を期待しながら年棒の推移を予想するの今後のプロ野球の楽しみのひとつとなりそうですね!
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