今もっとも注目されているプロ野球選手と言えば、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希選手ですよね。
2022年4月10日のオリックス戦でプロ3年目ながら完全試合を達成しました。
そんな佐々木選手を育てたお父さんやお母さんは一体どんな人で、どんな職業についておられるのでしょうか?
また、佐々木選手に兄弟はいるのか、いるならばどんなスポーツをしているのか非常に気になりますよね?
今回は佐々木選手の父親・母親の職業や、ご兄弟について調査してみました。
佐々木朗希の父親ってどんな人?職業は?

佐々木選手の父・功太さんは、陸前高田市で葬儀屋に勤めておられました。
なぜ過去形でお話しするかというと、実は父の功太さんは2011年3月の東日本大震災で被災し、亡くなっておられるんです(享年37歳)。
佐々木選手の出身地陸前高田市と言えば、最も津波の被害が激しかったところですね。
祖父の功さん(享年70歳)と祖母の勝子さん(享年68)も震災で同時に亡くなっています。
当時小学3年生だった佐々木選手は、津波から逃れようと兄弟3人で高台へと避難しました。
翌朝には母・陽子さんと再会することができましたが自宅は流されてしまい、佐々木選手の父と祖父母は帰らぬ人となってしまったんです。
それからは母の陽子さんが3兄弟を女手一つで育てたんですね。
ご職業は葬儀屋ということですが、陸前高田市で2011年以前から営業している葬儀屋はそう多くありません。
ですので父功太さんが勤めておられたのは高田町にある『陸前高田斎苑』であるという説が濃厚です。
父・功太さんの人柄は?
佐々木選手とそのご家族の絆は、たびたび地方紙でも取り上げられています。
父の功太さんは、地域の行事には積極的に参加する地元のリーダー的な人物で、誰からも愛される存在でした。
地元の方の話による功太さんの人物は次の通り。
功太さんは、誰にでも分け隔てなく接する人だった。普段は明るくおもしろく、怒る時はしっかり怒り、自分のことより、他人のことを考えて動く人だった。
家族だけでなく、周囲の人たちからも慕われている様子が伝わってきますよね。
佐々木選手がそんな亡き父について答えたインタビューでは
なんか、僕が言うのもあれですけど
誰とでもすごく仲良くしていて、みんなに愛されていたのかなぁ、と思います。
と、コメントしています。
本当に魅力的な人柄だったんですね。
佐々木朗希の母親ってどんな人?職業は?

母の陽子さんはというと、岩手県内で現在も保険の営業をしておられます。
画像は2019年のドラフト会議の時のもので、当時は46歳。
ということは、2022年現在は49歳となっておられますね。
お誕生日は母の日に近いとの噂がありますので、1973年5月生まれであると思われます。
母子家庭で3兄弟を育て上げるとなると、大変なご苦労があったはずです。
陽子さんは教育ママというタイプではなく、どちらかというと放任主義なのだとか。
子どもたちの意思を尊重して、見守っておられるようです。
母と天国の父に捧げる「ウィニングボール」

佐々木選手が初勝利を飾ったのはプロ2年目の2021年5月。
その時にヒーローインタビューでは「ウィニングボールを誰に渡しますか?」という質問があったのですが、佐々木選手は
両親に渡したいと思います。
と答えています。
ここまで育ててくれたお母様はもちろん、天国の父も含めて「両親に渡したい」と受け取れますね。
佐々木選手の家族に対する思いが伝わったエピソードだと思います。
佐々木朗希の兄弟ってどんな人?

次はご兄弟についてご紹介していきたいと思います。
佐々木家は男子ばかりの3兄弟で、佐々木選手は真ん中っ子の次男。
上に4歳上の兄・琉希(りゅうき)さん、下に3歳下の弟・怜希(れいき)さんがいます。
兄弟3人共に「希」の字が入っていることがわかりますね。
父亡き後は兄が父親代わり

父を亡くした佐々木家にとって長男の琉希さんが父親代わりで、佐々木選手に対しても厳しくしつけを行っていました。
母の陽子さんから見ても
野球だけでなく生活面ですら、一切褒めることなく可哀想なくらいだった
と、感じるくらいその指導は厳しかった模様。
その厳しさにはもちろん、ちゃんと理由があるんです。
母の陽子さんによると、父の功太さんが長男の琉希さんに対してかなり厳しかったのだとか。
お父さんが長男にはしつけの面で厳しくて、弟の朗希と怜希にはすごく優しかった。琉希本人には聞いたことありませんが、父が亡くなってしまったので、その立場を琉希がやろうとしていたのかもしれません。
母の陽子さんは兄・琉希さんの厳しさについてこのように理解しておられたんですね。
そんな兄の厳しさについて佐々木選手は
上下関係が厳しくて、人に迷惑かけたりすると怒られた。今は優しい。いろいろ強くさせてもらった。
と感謝の言葉を口にしています。
父の功太さんも、上下関係や他人に迷惑をかける行為などにはかなり厳しかったようです。
そんな父の教えを伝える役目を、兄である琉希さんが代わりに行ってくれたことが伺えます。
長男と言っても、父を亡くした時の琉希さんは13歳の中学生。
まだまだ本人も親に甘えたい年頃だと思いますし、父親代わりに弟たちをしつけるなんてなかなかできることではありませんよね。
このようなお兄さんの愛情が、トップ選手として活躍する今の佐々木選手を育てたのかもしれません。
佐々木朗希の兄弟も野球をしている?

兄・琉希さん、弟の怜希さん共に、なんと佐々木選手と同じ大船渡高校で野球部に所属していたんです。
兄・琉希さんは4番を任されるほどの中心的選手でした。
卒業後は東北大学に進学し、その後はプロ野球選手にはならずに東北学院大の大学院に通っておられました。
現在は大学院も卒業し、東京で広告代理店に勤めておらるという情報があります。
弟の怜希さんはというと、高校2年生ながらショートのレギュラーとして活躍中というから驚きですよね!
父の功太さんは野球はやっておられなかったようですが、存命中は毎日のようにキャッチャーを務め、佐々木選手と兄・琉希さんの投球を受け止めていたんです。
その姿を見て、弟の怜希さんも野球を始めたのかもしれませんね。
佐々木朗希の父親・母親の職業は?兄弟はいるの? まとめ
佐々木選手のご家族と、その絆についてご紹介させていただきました。
父の功太さんは葬儀屋、母の陽子さんは保険の営業のお仕事をされていますが、なんと、佐々木選手が9歳の頃に震災で父・功太さんは亡くなっています。
「令和の怪物」と言われ大活躍中の佐々木投手ですが、背景には悲しいエピソードがあったのですね。
父親代わりに厳しくしつけてくれた兄・琉希さん、女手一つで育ててくれた母・陽子さんなど、周りの人たちの支えがあって今の活躍があることがわかりました。
これからも佐々木選手の活躍を応援していきたいと思います。
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