千葉ロッテマリーンズに所属している佐々木郎希選手!!
才能溢れる佐々木郎希選手ですが、2011年3月11日の東日本大震災の被害に遭われたそうです。
人一倍辛い経験をされた佐々木郎希選手はその経験を跳ね返すかの如く素晴らしい記録を次々と打ち立てています!!
13者連続奪三振の世界記録、日本のプロ野球史上最年少で完全試合を達成するなど輝かしい記録を量産中!!
そしてその才能から「令和の怪物」と呼ばれています!!
そんな佐々木郎希選手について徹底調査しましたので最後までお読み頂けると幸いです。
・佐々木朗希選手が野球を始めたのはいつからか
・佐々木朗希選手の現在の実家はどこか
・佐々木朗希選手が災害で失った家はどこか
・佐々木朗希選手が東日本大震災前に通っていた小学校はどこか
・佐々木朗希選手が東日本大震災後に転校した小学校はどこか
佐々木朗希が野球を始めたのはいつから?


佐々木郎希選手はいつから野球を始めたんだろ??
兄が地元の高田少年野球スポーツ少年団に所属していた影響もあり、小学3年生の頃に佐々木郎希選手も同じスポーツ少年団に所属。



これが野球人生の始まりだったみたいだね!!
当時の監督である村上知幸さんによると
「3年生だとキャッチボールすら半数以上できないですが、しっかりできていた。お父さんともよく練習していたみたい。寡黙に練習に取り組む子で多くを指導した記憶がない」
引用:スポーツ報知
と早くも才能の片鱗を見せていました!!
兄が投手を務めていたそうで、佐々木郎希選手も同じく投手の道を選んだみたいですね!!



野球を始めたのも投手を目指したのもお兄さんの影響が大きかったんだね!!
佐々木朗希の現在の実家はどこ?





今の実家はどこにあるんだろう??
現在弟の佐々木怜希(ささきれいき)さんが岩手県立大船渡高等学校に通われているそうなので大船渡市が現在の実家であると思われます!
ちなみに弟の佐々木怜希さん(現在高校3年生)も高校時代の佐々木郎希選手と同じ背番号『1』を背負い、自己最高速度143㎞を記録する投手!!
※2023年9月現在
弟の佐々木怜希さんの簡単なプロフィール紹介
名前 | 佐々木怜希(ささきれいき) |
身長 | 178㎝ |
生年月日 | 2005年 |
体重 | 72㎏ |
投打 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
自己最高速度 | 143㎞ |
佐々木怜希さんのX(旧Twitter)情報
大船渡・佐々木怜希投手のストレートのキレがヤバすぎた…✍️https://t.co/S772bNn9uT
— 【公式・祝U18世界一】スポニチ高校野球2023 (@sponichi_kkbb) July 7, 2023
兄はロッテ佐々木朗希投手
最後の夏に甲子園へ☀️ pic.twitter.com/4qALSXf77K



3人兄弟で3人共野球で投手をしているんだね!!
佐々木朗希の災害で失った家はどこ?


出典:facebook
元々住んでいた実家は岩手県陸前高田市にあり、2011年3月11日の東日本大震災の津波によって家が流されてしまったそうです。
2023年3月12日放送の「情熱大陸」では佐々木郎希選手が元の実家があった場所に訪れ、庭が広く、兄弟でよくキャッチボールをしていたと語っていました。
兄弟で野球をする時には家族(おそらく父親)にキャッチャーをしてもらっていたそうです。
他にも、もし震災が無ければ自分はどんな生き方をしていたのか、もしかすると野球選手にもなっていなかったかもしれないと語っていました。
当時9歳だった佐々木郎希選手はこの震災で父親、祖父母を亡くされています。
地震後には兄、弟、母親にはすぐ会えたそうですごく安心されたようです。
その時はまさか家が流されているとは思っておらず、自分の持っていたゲーム機は大丈夫かな?などの心配をしていたそうです。
また、震災当日の朝には父親と「帰ったらキャッチボールをしよう」と約束もしていた。
父親との写真も今ではこの1枚だけで後は記憶の中にしかないとも語っています。
まだ幼かった佐々木郎希選手には辛い経験であったことがうかがえます。
それでも今では下記の通り後悔しない様に一所懸命前を向いて生きているそうです。
「今あるものがいつまでもあるわけじゃない」
引用:日刊スポーツ
「時間がたつと忘れてしまう。野球も、負けた悔しさとか、そういう気持ちって忘れてしまう。でも、それをどれだけ思っていられるかが大事」
引用:情熱大陸
またオフの日には地元に帰り、仲間と練習をするそうです。
情熱大陸での映像ではすごく楽しそうな笑顔を見せていました。
実家周辺も津波で流されてしまい、今では更地になってしまっているそうです。
実家の住所については下記の情報がありました。
朗希さん、家は高田のスタンド、スーパーの裏の方だったんだなぁ。#佐々木朗希#陸前高田#情熱大陸
— マリ (@the_tyunen) March 12, 2023
その事から恐らくこの辺りかと考えられます。


佐々木朗希が東日本大震災前に通っていた小学校はどこ?


出典:東海新報



佐々木郎希選手が震災前に通っていた小学校はどこなんだろ?
佐々木朗希選手は陸前高田市高田町出身の様で、陸前高田市立高田小学校に小学校3年生まで通っていました。
野球を始めたのもこの時期で、3対3の野球をして毎日喧嘩をしていたなど、本人によると「この頃が一番楽しかった」と語る程楽しい小学校生活を送られていたそうです。



とても楽しい小学校生活を送っていたんだね!!
佐々木朗希が東日本大震災後に転校した小学校はどこ?


出典:日刊スポーツ



佐々木郎希選手が震災後に通っていた小学校はどこなんだろ?
被災後は親戚が住む大船渡市に引っ越し。
小学4年生の頃に佐々木朗希選手は大船渡市立猪川小学校に転校する事に。
この猪川小学校は校庭に仮設住宅が設置されており、佐々木朗希選手もそこに住んでいたそうです。
ただ校庭に仮設住宅があった為に子供達は野球をする事が出来なかったそうです。
野球は河川敷で練習するしかなく設備が整っといない為、保護者の方達が協力して練習する環境を整えたそうです。
例えば照明が無かった代わりに車のヘッドライト、工事用のライトで光源を確保していたとなど



震災後は皆で協力して野球が出来ていたんだね、、、!!
佐々木朗希の現在の実家や災害で失った家はどこ?転校した小学校も大調査!まとめ
いかがでしたでしょうか?
佐々木朗希選手の現在の実家や災害で失った家はどこか、転校した小学校はどこかについて大調査致しました。
最後に簡単にまとめてみます。
佐々木朗希選手が野球を始めたのはいつからか
・兄の影響もあり、小学3年生の頃に高田少年野球スポーツ少年団で野球活動を始める
佐々木朗希選手の現在の実家はどこか
・弟の佐々木怜希(ささきれいき)さんが岩手県立大船渡高等学校に通われいる事から大船渡市が現在の実家と予想
佐々木朗希選手が災害で失った家はどこか
・元々住んでいた実家は岩手県陸前高田市にあり、兄弟でキャッチボールが出来る広い庭があった
佐々木朗希選手が東日本大震災前に通っていた小学校はどこか
・小学校3年生まで陸前高田市立高田小学校に通っていた
佐々木朗希選手が東日本大震災後に転校した小学校はどこか
・小学4年生の頃に大船渡市立猪川小学校へ転校
現在プロ野球界で大活躍中の佐々木朗希選手。
過去に震災の被害に遭い辛い経験をされたが、その経験を跳ね返すかの如く素晴らしい活躍を見せています。
これからのますますの活躍に注目です!
以上、最後までお読み頂きありがとうございました。
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