東京オリンピックのスポーツクライミング女子代表の野口啓代選手は、現在32歳。
オリンピックで初めてスポーツクライミングが追加種目となり、東京オリンピックにかける意気込みは強く、金メダルが期待されます!!
向上心と肉体美、さらに可愛さや美しさも兼ね備える大注目のスポーツクライミング女子代表の野口啓代さん。
野口啓代さんは、数々のボルダリングの大会で優勝や好成績を収めた選手としてだけでなく、今や女性としても魅力があり「可愛い」と話題の存在です。
東京オリンピックを最後に引退されるのは残念ですが、野口啓代さんの今後も気になりますよね。
しかし、野口啓代さんの小・中・高校・大学とどんな女性だったのか、とっても気になりませんか!?
そこで!!
今回は、野口啓代さんの幼少期から現在までの可愛いい画像を集めてみました。
スポーツクライミングの野口啓代の幼少から小学校どこ?可愛い画像も!

野口啓代さんの幼少期や小学生時代は、どのような女の子だったのでしょうか!?
スポーツクライミングとなるボルダリングに興味を持ち始めたのは、いつごろだったのでしょうか?
まずは、幼少期と小学生時代について、画像とともに調べてみました。
野口啓代の幼少期【画像】

野口啓代さんの6歳の時の画像です。
当時のご実家は、牧場を経営されていました。遊び場は牛舎だったとか。
6歳の野口啓代さんが、乳牛の乳しぼりをする姿は無邪気で可愛らしいですね。
野口啓代の小学生時代【画像】
小学校は、どこだったのでしょうか?
野口啓代さんが通っていた小学校は、「龍ヶ崎市立八原小学校」です。
母校の子供たちがこんなにも応援してくれるなんて、地元茨城では有名人ですね!!

目指す児童像
・夢や目標を持ち 自ら学び よく考える子
・礼儀正しく 思いやりのある子
・健康で 心身ともに たくましい子
龍ヶ崎市立八原小学校HP http://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/yaharasyou/about/2013091000482.html
幼少時からよく牛の背中に乗ったり、牛舎の屋根や木に登ったりと、高いところに登ることが好きな活発な女の子でした。
野口啓代さんは、小学5年生の時に家族旅行先でクライミングに出会います。
グアムでの初クライミングの写真は可愛い笑顔です!!
子供用はすぐに登れましたが、大人用は身長が足りなくて悔しい思いをしたとか。
そして木登りをするかのように、クライミングも楽しみ、クライミングの魅力に取りつかれました。

野口啓代さんは、龍ヶ崎市立八原小学校の児童像まさにそのものではないでしょうか!!
可愛い笑顔を見せる小学5年の野口啓代さんは、自らクライミングをよく考えて登り楽しんでいます。
その姿は「心身ともに たくましい」です。
野口啓代さんは、子供たちにボルダリングを楽しんでもらいたいと、地元の小学校へも貢献しています。
「礼儀正しく 思いやり」の姿勢があるからこそ、子供たちから応援ソングや横断幕、寄せ書きなど送られたのではないかと考えます。
送られたものに感激してしまう野口啓代さんは、とてもやさしい気持ちのある人ですね。

クライミングに出会ってジムに通い、1年という短い期間小学6年生で「全日本ユース選手権」優勝しています。
優勝した時の小学6年の野口啓代さんは、キュートな可愛らしさが垣間見えますね。
当時のことを、以下のように語られています。
当時の私は大きな大会に出ているという自覚はなく、絶対に優勝してやるという意気込みもありませんでした。いつも通り、ただ楽しくクライミングをしていたら優勝していたという感覚でした。
Canon スペシャルインタビュー https://global.canon/ja/event/2020/sport/special10/
野口啓代さん自身は「この当時自覚していなかった」と語られています。
しかし、ずっとクライミングを「楽しんでいきたい」という夢も、芽生えたのではないでしょうか。
小学5年生で体験した初めてのクライミングでは「大人用は身長が足りず登れなかったことが悔しかった」と負けず嫌いなところも見せています。
クライミングを楽しみながらも、すでに、目標は高く持ち始めていたのかもしれませんね。
スポーツクライミングの野口啓代の中学から高校はどこ?可愛い画像も!

気になる野口啓代さんの中学・高校時代はどうだったのでしょうか。
どこに通われていたのかも調べてみました。
野口啓代の中学時代
中学校はどこだったのでしょうか?
野口啓代さんが通っていた中学校は、「龍ヶ崎市立城ノ内中学校」です。
中学校からもオリンピックへの期待が集まっていますね。
中学生のときは、陸上部に所属し100m走と走り幅跳びの競技をしていました。
瞬発力と跳躍力が求められる競技は、クライミングをしている野口啓代さんに合っていたのでしょう。

野口啓代さんが中学に入ってから優しい娘思いの父親は、クライミングジムに通うのが大変ではないかと自宅の牛舎の隅にプライベートジムを作りました。
プライベートジムというくらいですから、もちろんのこと野口啓代さんの成長に合わせ、クライミングの壁も進化していきます。
忘れてはなりませんが・・・プライベートのクライミングウォールは、野口啓代さんの父親の手作りです。
父親にとっては、よほど可愛いのでしょう!!
野口啓代さんは、父親の手作りの壁で「世界一を目指す」と語りました。
中学時代の野口啓代さんの写真を見つけることはできませんでしたが、近い小学6年生の姿を見るとさらに可愛らしく成長されたのではと想像が膨らみます!!
楽しみながら「みるみる」とクライミングの実力をつけていき、中学生にして「大人も参加するボルダリングのジャパンカップ」で見事優勝を勝ち取りました。
活発だった野口啓代さんですから、元気いっぱいの笑顔で可愛らしく、喜びを表現されたのではないでしょうか。
野口啓代の高校時代【画像】
高校はどこだったのでしょうか?
野口啓代
東洋大学附属牛久高等学校を卒業、東洋大学ライフデザイン学部健康スポーツ学科を中退。
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/野口啓代
高校は「東洋大学付属牛久高等学校」に通っていました。

野口啓代さんの高校時代は、ジャパンカップやワールドカップで優勝など多くの大会で好成績を残しています。
野口啓代さんとともに進化していく、プライベートウォールのおかげでしょう。
中学から高校にかけて、飛躍的に実力を伸ばした野口啓代さんは、どんな感じの高校生だったのでしょうか?
高校生の野口啓代さんも可愛くて人気があったのではないかと、とっても気になりますよね!
野口啓代さんは、高校1年生で初めて世界大会に出場し、3位という素晴らしい成績を残しています。
上記の記事はいつのものかわかりませんでしたが、日の丸のユニフォームを着てあどけなさの残る感じは、おそらくまだ高校生の「世界大会」の記事ではないでしょうか?
緊張ぎみの笑顔の野口啓代さんも可愛いですね。
制服姿の野口啓代さんの高校時代は、実はこんな感じだったりして・・・!?
現在の野口啓代さんの美しさから考えると、きっと、お年頃になってきた当時は、可愛らしくされていたのでしょうね。
スポーツクライミングの野口啓代の大学以降の可愛い画像紹介!

野口啓代さんの大学やその後の所属はどこでしょうか。
成長していく可愛い野口啓代さんをもう少し覗いてみましょう。
野口啓代の大学時代
大学は「東洋大学ライフデザイン学部 健康スポーツ学科」に進学しています。

附属高校として、内部推薦により東洋大学へ進学する制度です。3年間の学業成績・出席状況・人物評価等を総合的に判断して選考し、例年多くの生徒が本校から推薦入学で東洋大学へ進学しています。
東洋大学付属牛久高等学校HP 東洋大学附属推薦制度について (toyo.ac.jp)
東洋大学は付属高校からの内部推薦があります。
「3年間の成績・出席・人物評価等を総合的に判断し選考される」ということは、野口啓代さんは高等学校での成績や評価も良かったと推測できます。
野口啓代さんは、学業成績・スポーツについての専門性も高く評価され、なおかつ美貌も兼ね備えた「文美両道」といえるでしょう。
大学に進学しても「健康スポーツ学科」で、スポーツの勉強にも励まれていたことと思います。
野口啓代さんは、19歳で初めてボルダリングの世界大会で優勝しました。
しかし、2008年7月にフランスのモンタウバン大会で日本人初の優勝を果たし、プロになりたいという強い思いから大学1年生(19歳)のときに中途退学しています。
野口啓代さんは、「プロになる決心がついたのも、父親が背中を押し、サポートしてくれたおかげ」と語っていました。
そんな野口啓代さんの大学時代の可愛らしい画像は、見つけられませんでした。
野口啓代さんのInstagramから、一番近いであろう画像を見つけました。

野口啓代さんが2011年12月にアップされている画像です。
当時22歳です。こんなおちゃめで可愛い一面もあり。
23歳の誕生日の野口啓代さんも、とっても可愛い!!
大学時代も可愛らしかったことが、推測できますかね!?
野口啓代の大学退学後の所属
野口啓代さんは大学を中途退学後、プロのフリークライマーとしての道を歩みます。
それでも、普段は可愛い女子の姿を覗かせています。(写真当時23歳)
上記、Twitterは当時26歳の野口啓代さんです。
野口啓代さんは、プロに転向しても、スポンサーがつくまでは両親のサポートがなければ、厳しい時期もあったとか。
素敵な笑顔は、野口啓代さん自身の努力と両親のサポートの賜物ですね。
プロ転向すぐの2008年は、「THE NORTH FACE」とスポンサー契約。
2012年に「ZETA株式会社」「ZERO START」と、2016年には「三井不動産」「牛乳石鹸」「KDDI(TEAMau)」と契約し、2018年「大和証券」、2019年「西川」と徐々にスポンサーが増えています。
現在は、10社近くと契約しているとの情報がありました。
ちゃんと、親孝行もしていますよ。感謝の気持ちが伝わってきます。
当時28歳の野口啓代さん、母親と浴衣で並ぶ姿も可愛らしいですね。
野口啓代さんは、よく父親とのツーショット写真もSNSにアップしています。
両親ともに愛してやまないのでしょう。
2016年にTEAMauが立ち上げられ、野口啓代さんもTEAMauに所属します。
年齢とともに、強さと女性としての魅力も増していく野口啓代さん。
雑誌の裏表紙にも載りました。
とても可愛いというか、美しく輝いています。
31歳の野口啓代さんの鍛えられた腹筋もすごいですね。
スポーツクライミングの野口啓代の高校までの可愛い学生時代のまとめ
32歳になられた野口啓代さんの幼少期から高校時代にかけて、可愛さにこだわり画像をまとめてみました。
- 野口啓代は幼少時代、実家の牛舎で無邪気に遊んでいた
- 野口啓代の小学校は「龍ヶ崎市立八原小学校」で、木登り好きな可愛く活発な女の子だった
- 野口啓代の中学校は「龍ヶ崎市立城ノ内中学校」で、プライベートウォールで実力を磨き、ジャパンカップで優勝した
- 野口啓代の高校は「東洋大学付属牛久高等学校」、高校1年のときに世界大会に出場し、3位に輝いた
野口啓代さんは、どの時代も可愛らしさがあります。
また、成長するにつれ、少女から女性への魅力が引き出されていますね。
野口啓代さんは、NHKの取材で以下のように語られています。
「オリンピックで最高の状態で引退したいなと思っています。目の前の壁にも勝ちたいですし
自分にも負けたくないなっていつも思っています」。
NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210716/k10013137681000.html?utm_int=movie-new_contents_list-items_001&movie=true
野口啓代さんが東京オリンピックにかける強い思いと気合いが伝わってきます。
東京オリンピックでは、ラッキーカラーの赤いマニュキアが爪には塗られ、「赤にはこだわりたい」トレードマークのリボンはどんなリボンになるのかも興味津々ですね!!
オリンピック初のスポーツクライミングで金メダリストに輝いてほしいと期待しています。
これから、ますます注目されるのでは!?
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