皇后になられて、その外交力を遺憾なく発揮し世界から注目をあびる雅子様。
外交官である父の元、幼少から豊富な海外経験があり、高い教養と超マルチリンガルな語学力を持つ雅子様もまた元外交官であります。
大学もハーバード、東大と通われていたのですが
そのとんでもなく華々しい経歴から、”中退”した「東大」についてはサラッと言われてしまいがち。
しかし雅子様の東大中退は、実はすごいことなんですよね。(まぁ合格していること自体すごいのですが。)
正に”完璧すぎる”とも言える雅子様。
その学歴をご紹介していきたいと思います!
雅子様の学歴➖小学校➖
「海外への転任でも必ず家族全員で」
が教育方針だった雅子様ご一家。
雅子様はモスクワ、スイス、ニューヨークと幼児期を過ごされ
また小学校も父親の転勤や、教育向上の都合などから4つの小学校を転々とされています。
ニューヨーク市立第81パブリックスクールに入学

1969年9月 市立第81パブリックスクールにご入学。
この一年前の5月にアメリカに引っ越してきた雅子様。
モスクワ時代ではロシア語を覚え、2歳にして既にバイリンガルの雅子様でしたが、アメリカでは勿論、英語を学ばれる事になります。
当時の担任は雅子様の英語力を
「わずかな期間で短い文章を英語で話すようになり、発音もきれいで、質問には完全に答えられた。」
と評価しています。
英語の他には算数や図工がよくできたのだそう。
学校以外では、雅子様はピアノを習い始めます。
また、日本語を忘れないようニューヨークの日本語学校にも通われていました。
日本の区立小学校に編入
◼️1971年3月目黒区立原町小学校

◼️1971年5月 新宿区立富久小学校

1971年3月、父の本省勤務により一家でニューヨークから帰国し、「目黒区立原町小学校」の1年に編入した雅子様。
しかし小学2年生になってすぐ新宿区大久保の官舎に引っ越したために、「新宿区立富久小学校」に転校しています。
春休みもあるでしょうから目黒の小学校は在籍期間1ヶ月程でしょうか。
こんなに超短期の転校ってあるんですね(驚)
ただ、こちらの小学校も在籍は1年間のみ。
実はこの間、雅子さまは別の小学校への編入試験のため、マンツーマンの個人レッスンを受けていました。
先生は、かつて上皇后美智子様も教育を受けたという元担任教師。
“より良い教育を”と、自らが通った学校へ編入させる為、雅子様のお母さまが頼みに行かれたのだといいます。
田園調布雙葉学園小学校に編入

1972年4月 試験に合格し、雅子様は3年生で田園調布雙葉学園小学校に編入されました。
雙葉学園は幼〜高までの一貫校で雅子様は高校まで通われています。
勉強はやはり優秀だった雅子様。
同級生が塾に通い始めるなか、学校の勉強だけで良い成績がとれる生徒だったといいます。
そして優秀なのは勉強だけではありません。

ピアノの発表会では、課題曲の「柱時計」をミスひとつなく演奏。
運動も得意で、当時流行していたローラースケートも転ぶことなくとても上手に滑っていたのだそう。
幼少からマルチな才能を発揮されていたのですね。
又、生粋の動物好きである雅子様は「生き物クラブ」に所属していました。
1976年、雅子様が小学校を卒業する際に書いたという作文がちょっと面白かったので載せておきます( 艸`*)
「クラブ」
小和田雅子
六年間の思い出といえば、修学旅行、林間学校、遠足、運動会など、たくさんあります。
でも、とても印象に残ったのは、六年の十一月十四日のクラブです。私は、五年の時は手芸部で、今年は生物部です。生物部は、六年四人と五年二人、岸田先生の、小さいクラブです。
この日、私たちは、「コジュウケイ(原文ママ)」のはくせいをつくることにしました。その鳥は、学校の窓ガラスにぶつかって、死んだのだと先生はおっしゃいました。
肛門から、はさみを入れて、お腹の皮をさきます。その後、肉を切らないようにして、中の肉をとり出します。そのためには、足とつばさを、適当な所から、切らなければなりません。足は、うまくいきました。つばさも一こできて、残るは、つばさ一ことなりました。そこは、先生がなさいました。ところが何という失敗! 先生は、つばさを切り落としてしまったのです。あと、頭のところの肉をとれば、肉がとれたのに。そして、かわかしたあと、中身を入れて、はくせいができたのに……。とても残念!
mi-mollet
六年間で1番印象に残った思い出が、修学旅行や遠足などよりも”先生のせいで、はくせい作りに失敗してしまったこと”だという雅子様(笑)
なんでもこなしてしまう雅子様ですから、完璧にできなかった事がよほど悔しかったのでしょうか。
しかしこのリアルな描写・・・さすがです。
雅子様の幼少期についてはこちらもどうぞ↓

雅子様の学歴➖中学校➖

1975年4月、雅子様は田園調布雙葉中学校に進学。
雙葉学園は屈指のお嬢さま学校。
そんなイメージとは裏腹に、中学時代の雅子様は“真っ黒に日焼けしたスポーツ少女”でした。
実は筋金入りの野球ファンでいらっしゃる雅子様。
当時お気に入りだった高田繁選手のブロマイドを下敷きに挟んで持ち歩いていたのだそう。
中学2年の時、雅子様は友人らと「野球部」の設立を学校側に掛け合いますが許可が降りず、代わりに「ソフトボール同好会」を結成。
その後懸命な活動が認められ同好会は部活に昇格し、中学3年には世田谷区大会で優勝を果たしています。

優れた運動能力のみならず、ユニークな一面や面倒見の良さから雅子様は部でもムードメーカー。
おまけに容姿も端麗な雅子様は下級生達からも憧れの的だったのだそう。
またロシアに住われていた雅子様はスキーもお得意。
3年の時に行われたスキー教室では指導の先生にも劣らない雅子様の滑りに同級生達は目を見張ったといいます。
活発なエピソードが目立つ中学時代の雅子様ですがもちろん成績も優秀。
英語をはじめ、他の教科もオール5に近い成績だったといいます。
こんなにできた人、なかなかいないですよね。
雅子様の学歴➖高校➖
◼️1979年4月田園調布雙葉高等学校

◼️1979年9月 マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクール

中学を卒業し、田園調布雙葉高等学校に進学された雅子様。
小学校から通われた雙葉学園ですが、父の転勤により高校入学から4ヶ月程でお別れする事になります。
人気者だった雅子様の見送りには学年全員に近い人数が集まったそう。
9月からはマサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに編入。
雙葉高校で過ごしたのは1年の1学期のみでしたが、雅子様は能力を認められなんと「飛び級」で高校2年からスタートされました。
優秀な雅子様は「ブレイン(頭脳)」又、「ハードワーカー(勉強家)」と呼ばれるように。
- 第二語学のドイツ語では「ドイツ総領事賞」「ゲーテ・インスティテュート賞」を受賞。
- 地元新聞の「ベルモント・ハイスクール成績優秀者」には常連で掲載。
- 米国全体の最優等学生上位5%の生徒に贈られる「ナショナル・オナー・ソサエティ」を受賞
と、残された功績には思わずため息が出てしまいそうですね。
また、ベルモント・ハイスクールでもソフトボールチームに入った雅子様はここでも本領を発揮。

レギュラーメンバーとして対抗試合に出た際には
「スラッガー・マサコがヒットを打って、ベルモント・ハイスクールが試合に勝った」
と三段抜きで地元新聞に掲載されました。
いったいどこまで凄いお方なのでしょうか。
しかし雅子様の活躍はまだまだ終わりません。
雅子様の学歴➖ハーバード大学➖

大学試験では数々の名門校に軒並み合格された雅子様。
「日本で就職するには名前の通った大学がいい」と
1981年、雅子様はオールAに近い成績でハーバード大学経済学部に入学されます。
雅子様の専攻は数理経済学。
数理経済学は、コンピューターで複雑な数式を駆使し、難しいテクニックを必要とする分野。
平日は図書館でレポート作成や資料探しに没頭するなど、その勉強ぶりは猛烈だったそう。
しかし一方では週末にはダンスパーティーやコンサートにもよく姿を現し、上手に息抜きもされていたとか。

また在学中、雅子様は様々な活動にも取り組まれています。
- 心身障害児の運動指導やフランス語のサークルに参加。
- 日本の伝統や文化を広めるための「日本文化クラブ」を自ら創立。
- 1年次の夏休みにドイツに2か月滞在しドイツ語の特訓。
- 2年の夏休みにはフランスのグルノーブル大学でフランス語夏期講座に参加。
勉強も出来、サークルやクラブの設立、語学活動、更にはプライベートも充実できる雅子様って本当に凄すぎです。

極めつけに卒業時には成績優秀者15%に与えられる栄誉学位「マグナ・クム・ラウデ」を受賞。
この栄冠に輝いたのは経済学部ではたった3人だったといわれています。
雅子様の学歴➖東大➖

ハーバード大学を卒業した雅子様には、当然のようにアメリカの証券会社や金融機関などからの勧誘があったといいます。
しかし、「日本人として日本で父と同じ外交官として働きたい」と考えていた雅子様は6年ぶりに帰国されました。
東大を受験した理由
外交官を志した雅子様は帰国後、東大の法学部に通われる事になります。
東京大学法学部を受験されたのは、難関の外交官試験に合格出来なかった場合を考慮してのこと。
1986年4月には見事、法学部3年に学士入学されました。
すべり止めに” 東大 “なんて次元が違いすぎなんですが・・
雅子様の東大合格はもはや” 当たり前 “とも思えてしまうから恐ろしいです。。
学士入学とは
修業年限4年以上の大学の学部を卒業した者に対し、各学部で選考の上、後期課程への入学を許可することができることとなっております。
東京大学
というもの。
試験内容は、外国語・小論文・面接となっているのですがやはり狭き門。
2020年度、法学部・他学士入学者の合格者数は、受験者11人中0です。
東大を中退した理由
晴れて学士入学された雅子様ですが、一年後には東大を中退されます。
なぜかというと、それは
外交官試験に合格したから。
東大に入学されてから半年後の事でした。
「外務公務員採用一種試験」は競争率なんと40倍。
この超難関試験に雅子様は一発合格したのです。
雅子様の父親も同じ試験で合格しており、「父娘2代の外交官誕生」と新聞各社の紹介記事に載るほどでした。

外交官試験を受けるにあたって、雅子様がこれまであまり学ばれていない法律の科目を勉強したり、アメリカ(英語)で学ばれた経済学の専門用語を日本語で覚え直す必要がありましたが見事、結果を出されています。
毎日勉強に明け暮れたことと思いますが、それでも合格できない人がどれほどいることでしょう。
雅子様、本当にすごいお方です。
東大中退はエリートの証

” 中退 ” というと、何となくあまり良い響きではない印象を受けますが、
外務省での「東大中退」は、エリート中のエリートを表す肩書きでした。
外交官試験は2001年には廃止され、現在はふつうの公務員と同じなのですが、
昔の外交官は大学3年で合格したら中退しても入省する事ができました。
前述したように、外交官試験は超難関であり、それを在学中に突破したということは大変名誉なこと。
東大を中退して外務省に入ることは、東大法学部を卒業することよりも価値が高かったのです。
「中退した人がエリート」なんて言葉だけ聞くとなんだか変な感じはしますが、理由がわかれば確かに納得ですね。

こうして、「キャリア官僚」のスーパールーキーとして華々しく外交官デビューされた雅子様。
この後、程なくして赤坂御所で開かれたスペインのエレナ王女を歓迎するパーティーにて、皇太子さまとの運命の出会いを果たされるのでありました・・・!
外交官になられた雅子様と天皇との出会いについての記事はこちら↓

雅子様これまでの功績
学生時代の功績をまとめました。
雅子様の学歴から見えたこれまでの活躍をおさらい!
小学校 | 小学3年生で田園調布雙葉学園小学校に合格。 ⚫︎勉強、ピアノ、スポーツと幼少からマルチな才能を発揮。 |
中学校 | 「ソフトボール同好会」を部活に昇格させ、区大会で優勝。 |
高校 | 高1の時、高校2年生としてベルモント・ハイスクールに飛び級編入。 ⚫︎ドイツ語で「ドイツ総領事賞」「ゲーテ・インスティテュート賞」を受賞 ⚫︎地元新聞の「ベルモント・ハイスクール成績優秀者」には常連で掲載 ⚫︎米国全体の最優等学生上位5%の生徒に贈られる「ナショナル・オナー・ソサエティ」を受賞 ⚫︎ソフトボールチームの対抗試合で雅子様の活躍が三段抜きで地元新聞に掲載 |
ハーバード大 | 名門校の大学試験に軒並み合格。 オールAに近い成績でハーバード大学経済学部に入学。 ⚫︎卒業時に成績優秀者15%に与えられる栄誉学位「マグナ・クム・ラウデ」を受賞。 |
東大 | 東京大学法学部3年に学士入学。 ⚫︎半年後に「外交官試験」に合格。 一年後にエリート中退。 |
改めて見ても、もう”凄すぎる”としか言いようがありませんね・・・!
雅子様の学歴 東大 まとめ
以上、小学校〜東大までの雅子様の学歴紹介でした。
決して勉強一筋のガリ勉ではなく、スポーツや文化活動にまで熱心に取り組まれていた雅子様。
頭の良い方はたくさんいますけど、運動神経や人柄まで、こんなに優れた方はそうそう居ませんよね!
雅子様のような方が皇后であられることは日本の誇りです。
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