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皇后雅子様は幼少期をどこで過ごしたの?お生誕から帰国までを細かくお伝えします!


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令和元年、皇后となれた雅子様。

皇后雅子様どんなお子様だったのでしょうか。

類稀なる才能を持たれている雅子様のお誕生から幼少期のご様子をお伝えしていきましょう。

目次

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雅子様のお生まれは東京

生後3ヶ月の雅子様

1963年(昭和38年)12月9日 東京都港区虎の門病院でお誕生

身長:53cm 
体重:3870g 
(1960年の女児出生平均体重:3079g 2010年の女児平均出生体重:2980g)

現在は低体重出生児が増加しているため、平均出生体重は雅子様が生まれられた1960年代よりは低い時代。

雅子様は予定日よりも2週間程度遅れとお生まれになったこともあり、平均体重よりも大きめではありましたが、元気にお生まれになりました。

1960年12月9日は冬本番ではありますが、比較的穏やかな寒さの温かい日だったそうです。

父・ 小和田恆(ひさし)氏は1932年(昭和7年)生まれ。雅子様がお生まれになった当時は東大教養学部を経て外務省にお勤めになっており、31歳の時です。

当時の平均結婚年齢が27.3歳なので、キャリアをお持ちだったお父様はやや遅めの結婚。

結婚後、まもなく雅子様はお生まれになられます。

母・優美子さんは1938年(昭和13年)生まれで、慶応大学文学部を卒業後、エールフランスで秘書として働かれた後、お見合いでご結婚されたそうです。

雅子様がお生まれになったときは、25歳。当時の女性の平均結婚年齢が24.5歳なので適齢期でのご結婚でした。

こちらは雅子様の生後6ヶ月のときです。

元気そうでかわいい女の子の雅子様ですが、その隣には金魚鉢をもった母・優美子さんの姿があります。

ナント!横顔は今の雅子様とそっくりです!

母・優美子さんの若かりし頃と、雅子様の現在と、よく似ていらっしゃいますね。

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幼稚園時代までは海外生活

外務省にお勤めの父・ 小和田恆(ひさし)氏 は、雅子様がお生まれになった頃は条約局にお勤めになっており、海外赴任を多くこなされていました。

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1歳8ヶ月からモスクワでの生活

父・ 小和田恆(ひさし)氏 は駐ソ連大使館の1等書記官としてモスクワへ赴任されます。

もちろん、雅子様も母・優美子さんと、お手伝いの井上道子さん(当時16歳)と一緒にモスクワ市内の中心部のクツゾフスキー通りへお引越し。

ロシア時代で幼少期を過ごされた雅子様は物怖じしないおしゃまさんだったそうです。

というのも、ことばが通じなくても自宅の前にある公園へよく遊びに出かけて、地元の子どもたちと一緒にお遊びをされおられたそうです。

こちらが、自宅前の公園で、スキーをされている雅子様の画像です。

まさか様のスキー好きはモスクワで過ごした幼少期に培われたものなんですね。

さらに、おしゃまさんぶりもお話があります。

目がくりっとして元気で可愛らしい雅子様は、モスクワの小和田低を訪問されたご友人に対して『粗茶ですが、どうぞ、お召し上がって・・・』といった内容のお言葉を話されたそうです。

物心つくかつかないかの2歳7ヶ月のときのお話です。

雅子様のお行儀作法の行き届いたこと!『粗茶!!』なかなか、覚えようにも覚えられないようなお言葉をそらすらと微笑ましく話されていたエピソード。

周囲の状況を観察して察知し、周囲のひとを困らせないように行動できる手のかからない、いわゆる「良い子」なお子様だったそうです。

こちらは、モスクワ保育園「婦人の日」のお祭りで合唱している雅子様の画像です。

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4歳からアメリカ・ニューヨークでの生活

1968年(昭和43年)父・ 小和田恆(ひさし)氏 は国連日本政府代表部1等書記官に就任して、アメリカ・ニューヨーク市ブロンクス地区にあるリバーティルへ一家とお手伝いの井上道子さんと一緒に移住。

雅子様は4歳。

すでに双子の妹の礼子さん、節子さんが生まれ、お姉ちゃんになっておられた頃です。

父・ 恆(ひさし) さんは、毎日の忙しい仕事の埋め合わせをするかのように、休みの日の週末には家族サービスでドライブによく出かけられました。

後部座席には、雅子様と双子の妹(礼子さんと節子さん)がいつも一緒。

仲良くお出かけのときには母・優美子さん手作りのおにぎりをほうばっておられたそうです。

妹思いのお姉ちゃん、雅子様ぶりが伺える微笑ましい画像です。

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主にフランス人やアイリッシュ人が通う幼稚園に入園

英語が話せないままの入園でしたが、入園から4ヶ月後に、初めて幼稚園で『May I go to the bathroom?』と英語を話されたそうです。

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ニューヨーク公立小学校「P.S81」に入学

まだまだ日本人や日本文化に対する偏見の強かった1969年(昭和44年)9月からニューヨークのP.S81小学校に通われました。

小学校1年生の遠足ではセントラルパークにお出かけになり、クラスのお友達と親睦を深められていたそうです。

お父様は時間を作ってご家族でお出かけになり、グランドキャニオン、スイスのレマン湖、アメリカ・バーモント州のキリントンでスキーを楽しまれたりと様々なご旅行を経験されました。

ハロウィンの際には子どもたちは仮装して町を歩く習慣がありますが、その仮装の衣装選びは近くのショッピングセンターへ何度も足を運んで念入りに行われたそうです。

双子の妹さんたちは可愛いキャラクターの衣装を選んだのに対して、雅子様が選ばれたのは奇妙な骸骨の衣装。

この、オリジナルなセンスが今の雅子様の根底にあるのでしょうか。

とってもユニークかつユーモアを感じさせてくれます。

そんな衣装選びが功を奏したのか、ハロウィンで町を歩いて帰宅されたときには、持ちきれないほどのおもちゃやお菓子を貰って帰ってこられたそうです。

そして、そのおっもちゃは大切に箱に入れて保管して遊ばれていたそうです。

元気な物怖じしない雅子様のそばにはたくさんのご友人が集まり、7歳を祝うお誕生日会でも大勢のお友達に囲まれて楽しそうな様子が伺えます。

写真の前列中央のケーキの前にいるおかっぱの女の子が雅子様です。

アメリカ・ニューヨークでの生活は2年半で終わりとなり、6年ぶりに帰国されることとなりました。

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オリジナルセンスを海外生活で磨かれた雅子様が魅力的

雅子様のご誕生から海外生活を送られていた7歳までのご様子をご紹介してきました。

物怖じしない性格で、また、周りの状況を読むとっても良い子だった雅子様のご様子や、お友達にも好かれる気さくな子供の頃の雅子様のご様子、さらには、ハロウィンで伺える雅子様のオリジナルセンスを垣間見ることができたように思います。

皇后雅子様の益々のご活躍をこれからも応援していきましょう。

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