2020年4月13日から報道ステーションのメインキャスターを務める小木逸平アナウンサー。
小木逸平アナがアナウンサーになるキッカケは幼少の頃にさかのぼってお姉さんとのある出来事がきっかけになったというのです!
ご兄弟は、お姉さんの他にもおられるのでしょうか?
ご紹介していきましょう。
小木逸平アナの嫁や子供についてご覧になりたい方はこちら。


小木逸平アナウンサーに兄弟はいる?
小木逸平アナウンサーは3人兄弟。
5歳年上のお姉さんが2人います。
小木逸平アナウンサーの生年月日は1974年5月14日(45歳2020年4月現在)なので、お姉さんは1969年生まれの50歳です。
2人とも5歳年上名なので、双子のお姉さん。
ちょっと、珍しい、組み合わせですよね。
その、2人のお姉さんはそっくり姉妹なのかどうかといった、画像などの情報はインターネット上にはありませんでした。
小木逸がアナウンサーになったキッカケは小学校の頃の姉とのどんな出来事?
その、5歳離れた双子のお姉さん。
この双子のお姉さんにまつわる出来事がアナウンサーになるきっかけとなったというのです。
小木逸平アナウンサーが子供だった小学生の頃「双子の姉妹さんは可愛いね」と、お姉さんたち2人に対するお褒めの言葉があり、兄弟の中で注目されるのはいつも双子の姉。
双子の姉妹というだけで、一般的に、注目が集まるものですが、その注目度が可愛いと絶賛される形で集まるのであれば、弟である小木逸平アナウンサーにまで、可愛いといった注目が集まるわけがありません。
このように、双子のお姉さんだけが注目されてしまったことから、子供ながらに小木逸平アナウンサーは寂しく感じていたのです。
そこで、小木逸平アナウンサーが考えたことは、「自分が注目される方法」です。
「話して目立つ!」という考え至、自分が注目を浴びるために「話せる人になる!」を目指して積極的の話すようになったというのです、
その結果、話すことが好きとなり、話すことを仕事とする、アナウンサーという仕事を選び、就職試験の難関を突破して見事、テレビ朝日の局アナへ。
お姉さんが周囲から可愛いと注目れることがなかったら、アナウンサーのにはなっていなかったのでしょうね。
小学生の頃の小木逸平アナウンサーはどんな少年?
小木逸平アナウンサーの小学生の頃のエピソードをお話しましたが、小木逸平アナウンサーは実際にどのような小学生だったのでしょうか。
お伝えしていきましょう。
小学生の頃の小木逸平アナウンサーの性格は?
「話せる人」になろうと心がけていた小木逸平アナウンサー。
「話せる人」を目標にしていることもあり、「好奇心旺盛」。
「全力でやればなんとかなる!」と、興味のあることには積極的に頑張って向かっていったそうです。
更に、小学生ではありがちですが、「忘れ物が多い」。
小学校に行かないとと、気持ちだけが先走り、ランドセルを背負い忘れて、そのまま投稿することが何度もあったそうです。
毎回、体操服を忘れてしまう小学生や、給食袋を忘れる小学生はよく見かけますが、ランドセル嘘のものを忘れて登校してしまう小学生とは、ある意味、大物小学生ですね。
小学生の頃の小木逸平アナウンサーの習い事は何?

小木逸平アナウンサーの小学生生の頃の写真です。
見てわかるように、習い事は「ピアノ」と「サッカー」です。
ピアノは双子のお姉さんが習っているから、自分も習ってみるという、流れだったのですが、実際に効い始めると、徐々にピアノの先生のところへ通うのが億劫になっていったのだそうです。
ピアノを習ってみたものの、それ程好きにはなれなかったのだそうです。
そして、サッカーも、友達の影響でサッカー少年団に入ったものの、小学生の頃で終了。
大人になっても続けるまで好きにはなれなかったそうです。
小木逸平アナウンサーの出身小学校はどこ?
小木逸平アナウンサーの出身は埼玉県新座市。
その実家の学区である、新座市立野火止小学校に通っていました。
サッカーも学区である 立野火止小学校の小学生が所属する 新座陣屋キッカーズサッカースポーツ少年団に所属。
これからの小木逸平アナウンサーの活躍にご期待を!
小木逸平アナウンサーがアナウンサーになったキッカケは、小学生の頃にお姉さんに集まっていた注目を自分に向けるためだった!ということ、更に、小学生の頃の小木逸平アナウンサーの様子について、ご紹介してきました。
2020年4月13日からの報道ステーションのメインキャスター代行というおお仕事を通して、更なる小木逸平アナウンサーの活躍を期待しましょう。
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