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水原一平の経歴や職歴一覧!大谷翔平との出会いが日本ハム時代から!野球歴も徹底調査!


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もはや日本のみならず、世界のトップアスリートとなった大谷翔平選手。

その大谷選手を公私に渡って支えることで一躍有名になったのが、水原一平さんです。

水原さんはどのようにして通訳になったのでしょうか。

そしてMLBで大谷選手の専属通訳となったいきさつも、気になりますよね。

また、そもそも水原一平さんは、これまで野球をされていたのでしょうか。

ここでは、水原一平さんの全てを徹底調査致しました。

この記事でわかること
  • 水原一平さんの経歴
  • 水原一平さんと大谷翔平選手の出会い
  • 水原一平さんの野球歴
  • なぜ水原一平さんは日本ハムの球団通訳となったのか
目次

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水原一平の経歴一覧!

水原一平さんの経歴をまとめてみました。

  • 1984年 北海道苫小牧市で生まれる。
  • 1991年 父親が米国で和食料理店の板前を始めたことに伴い渡米。
  • 2007年 カリフォルニア大学リバーサイド校卒業。
        ロサンゼルスにある日本料理「古都」でアルバイトをしながらカジノのディーラーの学校に通う
  • 2008年または2009年頃 アメリカの日系企業(日本酒の会社)に就職(3年間)
  • 2011年 ボストン・レッドソックスに2006年から所属していた岡島秀樹投手の専属通訳として採用。
  • 2012年 ニューヨークヤンキースとマイナー契約を結ぶ交渉の段階から岡島秀樹投手の専属通訳を担当。
    しかし入団前の岡島投手のフィジカルチェックで異常が発見され、岡島投手と供にヤンキースとの契約を解除される。
  • 2012年 北海道日本ハムファイターズの球団通訳となり、レアード選手やマーティン選手らの通訳・生活支援などを担当する。
  • 2017年 シーズン終了後、大谷翔平選手のロサンゼルスエンゼルスへの移籍に伴い、大谷選手の専属通訳として一緒に渡米。
  • 2018年 元ファイターズガールの野間えりかさんと結婚。
  • 2023年 シーズン終了後、大谷選手のロサンゼルスドジャースへの移籍に伴い、ドジャーズへ移籍。

水原一平さんは6歳まで北海道苫小牧市で過ごしました。

その後父親の仕事の関係で渡米します。

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2007年~2009年 日系企業に就職

そしてカリフォルニア大学リバーサイド校を卒業後、米国の日系企業で働いていました。

物心がついた6歳から米国に住み、大学卒業後はそのまま日系企業に就職して、3年間を過ごしてきたという。日本での就職経験もなく、日本語に対しての不安を話してくれた。

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「一平ちゃんがこの店でアルバイトをしていたのは、大学を卒業したころ。ホールで料理をお客さんに持って行く仕事をしていました。時給は当時8~9ドルくらいだったかな。人生を模索している時期だったと思います。

 

ロサンゼルスにある日本料理屋「古都」のオーナーシェフ・松木保雄(75)は父・英政と古くから親交があり、水原も同店でアルバイトしていた経験があるという。松木が振り返る。

「一平ちゃんがこの店でアルバイトをしていたのは、大学を卒業したころ。ホールで料理をお客さんに持って行く仕事をしていました。時給は当時8~9ドルくらいだったかな。人生を模索している時期だったと思います。

 何か手に職を付けなきゃいけないと、当時はカジノのディーラーの学校に通ったという話もしていました。それも性分には合わなかったみたい。時期は少し後だけど、日本酒のメーカーに入社してウチに売り込みに来たこともあったね。一平ちゃんは真面目で誠実ですごく好人物だけど、セールスマンっぽくなくて、営業はあんまりうまくなかったな(笑)」

NEWS セブンンポスト

卒業後すぐには就職せず、松木さんの店「古都」でアルバイトをしながらカジノのディーラーに通っていた時期があるとのこと。

期間はおそらく2007年に大学を卒業してから1年~2年、いわゆるフリーターだったんですね。

その後、カジノのディーラーは性分に合わないと判断して、ロサンゼルスに支社がある日本酒メーカーに就職して3年間はサラリーマンとして働いたとのこと。

就職した日本酒メーカーがどこだったかは、不明ですが、職種は営業職だったと。

アメリカ育ちでなりながら、日本酒メーカーに就職とは、日本人スピリッツは大いに合ったんですね。

このころから、日本語と英語を使いこなしたいという思いはあっと想像出来ます。

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2011年~2012年 ボストン・レッドソックスに入団した岡島投手の専属通訳に就任

ロサンゼルスで育った水原は、ドジャースタジアムに野茂英雄や松井秀喜など、日本人メジャーリーガーの観戦に行っていたという。そんな水原の転機になったのは2009年、ドジャースタジアムでのWBCの決勝戦だった。

「一平ちゃんとふたりで、三塁側の席に座って観ました。イチロー選手が延長でタイムリーを打って、スタジアムがワーッと盛り上がって。それで『侍たちと野球の仕事をしたい』と言っていた。野球を見る目がギラギラしていて、やっぱり、野球が大好きだったんだなあと思いますね」

Newsポストセブン

当時、ロサンゼルスドジャースで1995年から2005年まで活躍していた野茂英雄投手の姿に影響を受けたのだとか。

野茂投手が活躍していた時期は、水原一平さんの小学校~高校と多感な時期です。そんな小学生の頃からMLBでの通訳の道へ関心を持っていたそうです。

更に、通訳への関心を強いものとした試合がありました。それは、2009年のWBCのドジャーズスタジアムで行われた試合。

イチロー選手の活躍を見て、もともと好きだった野球を通訳という形で関わりたいという多いが増して、「野球の仕事がしたい!」という思いが強くなったそうです。

2011年ボストン・レッドソックスに所属していた岡島投手の通訳を募集していることを知り応募。

念願かなって通訳に就任します。

2012年ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ岡島投手の契約解除とともに、解雇されることとなります。

岡島選手が仮契約中に行われたフィジカルチェックにおいて、異常が見つかったからでした。

米国でも短期間ではあるが、通訳の仕事をする機会を手に入れ、野球界でのキャリアをスタートさせた。だが米国で通訳を務めるのは、どうしても選手の行方にも左右されてしまう。選手の契約が解除されると、すぐさま無職となってしまう可能性とも隣り合わせだ

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しかしすぐさま、北海道日本ハムファイターズの通訳募集を知ることとなります。

水原氏は当時テキサス・レンジャースでトレーナーを務めていた中垣氏(現サンディエゴ・パドレス)からファイターズが通訳を募集していることを聞き、すぐさま応募することを決断した。

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そして早速応募し、見事合格し採用されたのでした。

こうして日本へ帰国し、プロ野球選手の通訳としての人生が始まったのです。

さらにこの年、日本ハムで大谷翔平選手との出会いがありました。

この運命の出会いが、夢であったMLBでの通訳へと繋がったわけです。

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水原一平の職歴&通訳歴一覧!

水原一平さんの職歴を簡単にまとめてみました。

  • 2008~2009年 ロサンゼルスにある日系企業(日本酒メーカー)に営業職で就職
  • 2011~2012年 ボストン・レッドソックスに岡島秀樹投手の専属通訳として就任
  • 2012〜2017年 北海道日本ハムファイターズの球団通訳
  • 2018〜2023年 ロサンゼルスエンゼルス・大谷翔平選手の専属通訳
  • 2023年オフ〜  大谷選手とともにロサンゼルスドジャーズに移籍 

水原一平さんは2012年春に、通訳として北海道日本ハムファイターズに入団しました。

そして、大谷翔平選手が日本ハムに入団したのも、2012年です。

つまり、2012年に、二人は運命的ともいえる出会いを果たします。

水原さんは1984年生まれ、そして大谷選手は1994年生まれです。

つまり、2人は10才年が離れていますが、日本ハムには同期入団となります。

最初は水原さんと大谷選手は、それほど親しい間柄ではありませんでした。

通訳と日本人選手、という関係でしたし、年齢も離れていたから、無理もないですね。

しかし、次第に話す機会が増えて、やがて二人の距離が縮まっていきました。

その理由は、当時水原さんが担当していたルイス・メンドーサ選手にあります。

メンドーサ選手のロッカーが、偶然にも大谷選手のロッカーと隣り合わせだったからです。

次の動画は、水原さんが日本ハムに所属していた時に撮影されたものです。

当時通訳を担当していたレアード選手に付き合っていた時の様子が映っています。

当時から水原さんの仕事ぶりは、単に通訳としてだけはありません。

日本の生活に慣れない外国人選手に対して、生活面でも献身的にサポートしていました。

そんな水原さんの姿に、外国人選手からもとても親しまれ、高い評価を得ていました。

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水原一平の野球歴は?

水原一平さんは、学生時代にバスケットボールとサッカーをやっていました。

スポーツマンですが、野球の経験はありません

2021年、大谷選手がMLBオールスターゲームの前日の「ホームランダービー」に選出されました。

この時、水原さんは、大谷選手の打席でキャッチャーを務めました。

これは大谷選手からのリクエストだったそうです。

これを聞いて水原さんは、急遽キャッチャーの練習をしたそうです。

ホームランダービーでは、あえて投手もホームランを打ちやすいゆっくりとした球を投げます。

ましてや大谷選手の打席ですから、キャッチャーとしての役割はほぼないのですが…

ここにも水原さんの真面目な性格が伺えますよね。

しかし、水原さんは今ではかなりMLBに精通しています。

実際、現在では単に大谷選手の通訳としての仕事をするだけではありません。

大谷選手のキャッチボールなどの練習相手を務めています。

他に、対戦相手のデータなどを、タブレット端末を使って伝えたりもされています。

他に、対戦相手のデータなどを、タブレット端末を使って伝えたりもされるなど、実戦面での大谷選手のプレーも支えています。

本当に水原さんは飾らない努力家ですよね。

そのような人柄が大谷選手のみならず、米国の野球ファンにも愛されています

ご覧の通り、今では選手以上ともいえる人気を誇る存在となりました。

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水原一平が通訳として日ハムを選んだのはなぜ?

2012年、当時テキサスレンジャーズでトレーナーをしていた中垣征一郎さんから、

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北海道日本ハムファイターズで通訳を募集している

と紹介されたのがきっかけでした。

実はこの年、水原さんはMLBに強い関心を抱き、大学卒業後に就職した日系企業を退職します。

そして、知人の紹介で、ニューヨークヤンキース・岡島秀樹選手の通訳を担当することになったのですが…

岡島選手がフィジカルチェックで異常が見つかり、契約を解除されてしまいます。

その後、先述の中垣さんのアドバイスにより、日本ハムの通訳に採用されました。

水原さんにとって北海道は生まれ故郷です。

これも何かの縁かもしれませんね。

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水原一平の経歴や職歴一覧!大谷翔平との出会いが日本ハム時代から!野球歴も徹底調査!まとめ

この記事で分かったこと
  • 水原一平さんの奇跡的ともいえる経歴
  • 日本ハム時代に大谷翔平選手と出会った
  • 水原一平さんは過去に野球歴はない
  • 知人の紹介で日本ハムの通訳に応募し、採用された

いかがでしたでしょうか。

大谷翔平選手を支えている、水原一平さんの活躍を、今後も期待したいですね。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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