千日回峰行を満行した僧侶にのみ与えられる尊称「大阿闍梨」。
千日回峰行は最大の荒行であるため満行された僧侶は戦後ほんの14人。
歴代の僧侶としては51人。
その戦後14人目の「大阿闍梨」である叡南(釜堀)浩元師が先導しての「お立ち寄り」と呼ばれる京都市内の社寺巡拝する百回峯行の京都切廻りが2019年春にも行われます。
京都市内の寺社巡拝はルート上にあるいくつかの寺社で行われます。
その神社仏閣の中のひとつに最澄や最澄の母に縁の深い「妙徳院」というお寺があります。
妙徳院では大阿闍梨の叡南(釜堀)浩元師が大阿闍梨独特の調子のお経を挙げてお参りされます。
お立ち寄りの際の休憩場所となります。
千日回峰行や大阿闍梨に興味が有る方。
千日回峰行の一部を少し見てみたいという方はぜひこの機会にお参りをしてみて下さい。
2023年はやっと平常通りの京都切廻りが行われます。
妙徳院でのお立ち寄りもありますので、その情報については、こちらをご覧下さい。
https://perlman2020.jp/2023otatihori/
「妙徳院」京都切り廻り・お立ち寄り開催日時
6月9日(日)14時30分~15時00分頃
※開催日が変更されました。ご注意下さい。
妙徳院:京都市右京区山ノ内中畑町23
最寄り駅:京福電鉄 山ノ内駅下車 徒歩5分
※時間は暫定です。
「妙徳院」京都切り廻り直前に法話開催!
2019年春の切り廻りのみ直前に
比叡山延暦寺の僧侶真嶋氏による説法を開催します。
日時:6月9日の13時30分~
どなた様でもお聞きいただけます。
京都市内の寺社を巡回するお立ち寄り
京都市内の寺社を巡回するお立ち寄りは
千日回峯行と百日回峯行の2種類の
回峰行の中で行われます。
千日回峰行でのお立ち寄り
千日回峰行は12年に渡って行われる修行です。
その7年目に京都大廻り(洛中洛外大廻り)
と呼ばれる京都市内の寺社を巡回する
お立ち寄りが行われます。
前半の100日は84㎞を
後半100日を30㎞を歩くのです。
千日回峰京都大廻りの大まかなルートは
以下のとおりです。
明王堂(夜半)→比叡山一巡(根本中堂、戒壇院、弁慶水)
→雲母坂→赤山禅院→真如堂→青蓮院
→行者橋(橋の袂でお加持)
→八坂神社(拝殿の腰掛に坐して祈る、お加持)
→庚申堂
→清水寺(大黒天前で真言を唱え、奥の院を一周する)
→六波羅蜜寺→因幡薬師→五条天神
→祇園御旅所→神泉苑→出世稲荷
→北野天満宮(お加持)→西方尼寺(お加持)
→上御霊神社→出雲路橋→下鴨神社→河合神社
→清浄華院(夕刻、宿泊所、入浴、食事、仮眠して
夜半に宿坊を出る)→赤山禅院
→雲母坂→比叡山→明王堂(午前)
百日回峰行でのお立ち寄り
百日回峯行では一年に一回の化他行である
75日目に京都切廻りと呼ばれる
京都市内の社寺を巡拝するお立ち寄りが行われます。
この前日には2日分として2度の山中行があり
2回目は反対に60km廻る逆廻りが行われます。
蓮華傘をかぶる事が許され
京都市内80kmを巡拝します。
京都切廻りは100日毎の75日目に1日のみ行われます。
百日回峯京都切廻りのおおまかなルートは
以下のとおりです。
明王堂→比叡山一巡(根本中堂、戒壇院、弁慶水)
→雲母坂→赤山禅院→勝軍地蔵
→真如堂→黒谷→庚申堂→青蓮院
→白川・行者橋→八坂神社→高台寺
→八坂庚申堂→産寧坂→清水寺→松原通
→六波羅蜜寺→松原不動→因幡薬師
→五条天神→堀川通→祇園御旅所
→三条通→大宮通→御池通→神泉苑
→押小路通→出世稲荷→千本通→五番町
→七本松→下森→北野天満宮→西方尼寺
→五辻通→上御霊神社→出雲路橋(上賀茂神社遥拝)
→下鴨神社→河合神社→赤山禅院
→雲母坂→比叡山→明王堂
千日回峰行の凄まじい修行内容について
くわしく、更に分かりやすくまとめました。
改めて千日回峰行の凄まじい修行内容について
ご覧になりたい方はこちらをご覧ください。
[blogcard url=”https://perlman2020.jp/one-thousand-days-content-sugi/”]
2019年春のお立ち寄り
千日回峰行は2017年に叡南(釜堀)浩元師が
満行されて以来、千日回峰行を行って
おられる僧侶は2019年春の段階ではおられません。
よって千日回峰行によるお立ち寄りはありません。
2019年春に行われるお立ち寄りは百日回峰行の
京都切廻りのみ開催されます。
百日回峰行の京都切廻りは
千日回峰行を満行した大阿闍梨の
先導により行われます。
2-3人の百日回峰行を行う若手僧侶と
大阿闍梨は信徒により結成された
息障講社の人々(お供)に外護されながら
京都の町を歩き回ります。
息障講社の人々(お供)として
参加することも出来ます。
80Kmまたは84Km の全行程をお供するのが原則ですが
途中に立ち寄る神社での途中参加、
途中解散ということも可能です。
2018年にはMBSの西靖アナウンサーが
番組の企画で参加されました。
大阿闍梨・叡南(釜堀)浩元師とは
2017年9月18日
釜堀浩元師は 51人目 戦後14人目に
千日回峰行を満行され大阿闍梨となられました。
2019年現在
比叡山 無動寺 明王堂
(通称 無道寺)の輪番(責任者)をされています。
釜堀浩元というお名前であった2017年に
大阿闍梨になられました。
1979年戦後8人目に大阿闍梨となられた
叡南俊照師の養子に入られました。
養子になられたのは2018年です。
大阿闍梨は未婚でなければなりません。
ですから継承するために
養子縁組がしばしば行われるのです。
というわけで旧姓が釜堀。
2018年からは叡南浩元と改名されました。
叡南浩元師の師匠であり父親となった
叡南俊照師は大阿闍梨の中でも
高い人気を誇ります。
現在は律院の住職をされていますが
毎日、叡南俊照師のもとを訪れる方は
跡を絶ちません。
そんな律院の住職である大阿闍梨・叡南俊照師の
魅力について知りたい方はこちらを御覧ください。
[blogcard url=”https://perlman2020.jp/buddhism-ajyari-shun/”]
大阿闍梨に会いに京都に来たので
お土産を考えておられる方は
大阿闍梨にちなんだ大人気菓子の
阿闍梨餅がお勧めです。
比叡山延暦寺のオフィシャル菓子にも
なっている逸品です。
「阿闍梨餅の名前の由来について」
「阿闍梨餅が京都土産NO.1の人気を誇る理由について」
「その阿闍梨餅を超おいしく焼きたてで食べられる満月本店について」
興味のある方はこちらを御覧ください。
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[blogcard url=”https://perlman2020.jp/buddhism-ajyari-sweets-reason/”]
[blogcard url=”https://perlman2020.jp/buddhism-ajyari-sweets/”]
妙徳院とは
お堂の中心には「妙徳岩」と呼ばれる岩があり
本尊の観音様と立位の不動明王によって守られています。
「妙徳岩」とは比叡山延暦寺の開祖の
伝教大師・最澄の実母が座禅石として使用していた
霊石とされています。
その名を頂き「妙徳岩」と呼ばれています。
伝教大師・最澄の母「妙徳」の里はこの山ノ内なのです。
昭和43年(1968年)に戦後初の千日回峰行を満行された
大阿闍梨である叡南祖賢師とともに妙徳院は建立されました。
伝教大師・最澄の母「妙徳」
西暦 | 年号 | 歴史 |
189~220年 | ー | 妙徳の夫・百枝の先祖 中国後漢の孝献帝 |
300年頃 | ー | 百枝の祖先・登万貴王が渡来 |
646年 | 文化元年 | 伝教大師・最澄の母妙徳の祖先・藤原鎌足が「大化の改新」の功績をあげる |
757~764年 | 三津首百枝と藤子が結婚 | |
765年頃 | 比叡山八王子山の奥(後の神宮寺)に草庵を結び藤原夫妻が男子誕生の祈願をする | |
766年 | 天平神護2年 | 広野(最澄)誕生の説あり |
767年8月18日 | 神護景雲元年 | 近江国滋賀郡にて最澄誕生 藤子を妙徳と改名する |
778年 | 宝亀9年 | 妙徳の兄の勧めで最澄が出家 |
788年 | 延暦7年 | 比叡山の地に一乗止観院(根本中堂)を建立 |
790年 | 延暦9年 | 妙徳の母・宇気合田早良女が没 |
798年 | 延暦17年 | 母妙徳の父・鷲取が没 |
800年頃 | ー | 最澄は両親報恩のため生源寺、東南寺を建立 |
806年 | 大同元年 | 最澄が開宗した天台宗が公認される |
弘仁2年 | 811年 | 伝教大師・最澄の母妙徳の夫・百枝が没 伝教大師・最澄の母妙徳の住居が焼かれたため実家(山ノ内)に身を寄せる |
弘仁3年 | 812々 | 伝教大師・最澄の母妙徳の兄宅で妙徳の夫・百枝の一回忌法要を開く |
弘仁8年2月15日 | 817年 | 伝教大師・最澄の母妙徳が没 |
弘仁9年 | 818年 | 京都山ノ内に円仁らを招き伝教大師・最澄の母妙徳の一回忌法要 |
820~891年 | 比叡山花摘峰に伝教大師・最澄の母妙徳の霊を祀るため智証大師円珍が社を建立 | |
弘仁13年6月4日 | 伝燈大法師位 伝教大師・最澄が没 最澄の死後、大乗戒壇院の建立が勅許される |
|
貞観8年 | 866 | 最澄、伝教大師号を賜る |
1392~1572年 | 市殿神社の建立は室町時代 | |
1830年頃 | 妙徳の菩提寺・普賢寺が念仏寺(京都山ノ内)と合併 | |
1854年 | 嘉永7年 | 市殿神社に石鳥居を再建 |
1968年 | 昭和43年 | 妙徳院を建立 |
2019年春大阿闍梨「叡南(釜堀)浩元師」お立ち寄りへのお参りを
千日回峰行を満行された大阿闍梨である
叡南(釜堀)浩元師の偉大なる人間力と
千日回峰行という荒行の乗り越えられた
そのスピリチュアルパワー。
さらに最澄の母の座禅石の
スピリチュアルパワー。
それらに触れ、そしてお梶を頂いて
これからの毎日の生きるパワーに
プラスしてみるのはいかがでしょうか。
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